2015年10月16日金曜日

漫画 ドラゴンクエストへの道を読んで、かなりの長文なので注意

漫画「ドラゴンクエストへの道」を読んで。かなりの長文なので注意してください。

ゲーム開発話の漫画は結構好きです。その中のひとつ
ドラゴンクエストへの道を読んだ話でも。

昭和57年、時は、まだファミコンがまだ開発されていないとき、時代はまだパソコンが主流でした。
そのとき、エニックスが「ゲームホビープログラムコンテスト」を開きました。
このコンテストに中村光一さん・堀井雄二さんがそれぞれゲーム作品を投稿しました。

そして二人のゲーム作品は見事に入賞。
中村光一さんは「ドアドア」堀井雄二さんは「ラブマッチテニス」でした。
こうして、ドラゴンクエストを生み出す人は出会いました。

昭和58年、時代のゲームはアクションからアドベンチャーのように
考えるゲームに移行していたみたいです。
そのとき、エニックスはアメリカへ行き海外のコンピュータに触れ少しでも
いいゲームを作ろうと思っていたようです。
当時のアメリカではRPG(ロールプレイングゲーム)が大流行、アップル社のウィザードリィを見た
二人は「さらに面白いゲームを作りましょう!」と意気投合します。

昭和58年、ファミリーコンピュータ、ファミコンが発売されました。
もちろん、エニックスもファミコンのゲーム開発に全力になりました。

そのころ、中村光一さんは千田幸信さん(エニックス、ゲームプロデューサー)に次のゲームは
これはどうでしょう?と次々ゲーム企画書を見せますが、
どれもアクションやシューティングばかりでした。

しかし、千田さんは「新しいゲームを作りたい」との言葉で、
中村光一さんは「RPGですか!?」と興奮する、しかし千田さんは「RPGはまだ早い」と答える。

それは何故か、一般の人たちにはまだ「RPG」とは何かまだわからない未知のゲームだと思い、
まずは、文字だけのゲームで一般人にも楽しめるアドベンチャーを出して、
一般の人にも楽しめてゲームに慣れてもらってからRPGを出そうとします。

しかし、その文字情報だけでゲームができるゲームは何か、容量がたくさんいるから無理だと
中村さんは悩みますが、千田さんは「あのゲームがあるじゃないか、堀井くんの」と、
堀井雄二さんが作ったポートピアのゲームをファミコンに移植しようとします。
そうか!それなら少ない容量で作れる!と思った中村さん、それならいけると思ったとき
また問題があることに気付きました。

それは「コマンド入力の問題」です。

当時は、ゲームはパソコンが主流でほとんどがキーボード入力なので、
例えば部屋を出るとき、ドアが閉まっていたら、「ドア開ける」と
キーボードで入力しなければいけませんでした。

しかし、ファミコンは知っての通りあのコントローラー、
そのコマンド入力問題を堀井さんに相談しに行く千田さん「中村君が言うには」
画面に50音の文字を出して、それでコマンド入力をさてせみては?との考えでしたが、
中村さんも「これじゃあ、面倒だし誰もやりたくないな」と思っていましたが、
堀井さんはあっさり解決策を出しました。それは

コマンド選択方式

「はなす」「とる」「いどう」という単語を選ぶというプログラムを堀井さんは生み出していました。
そのアイデアに中村さんは「考えつかなかった!!」と悔しがり、そして負けられないと思いながら
ポートピアが開発されました。

昭和60年ポートピアが発売され、エニックスに大量のアンケートはがきが・・・。
千田さんが全てのアンケートはがきに目を通すといったのはいいのですが、多すぎました。
アンケートはがきにはさまざまな年齢の人が、

ちょっとしたトイレ休憩を取っていたらスタッフの人たちが
「次はどのゲームかな?」
「ポートピアパート2だよ」
「いやRPGみたいだよ」
「え!?RPGはマニアがやるゲームだよ」
と、スタッフはRPGは無理だよと思ってたようです。

再び机に戻った千田さん、アンケートはがきを見ましたら、
そこの名前欄には「すぎやまこういち」とひらがなで書かれていて、
千田さんは「小学生?」と思ってたようです。
しかし、女性スタッフが、「あの作曲家の、すぎやま先生では!?」

そして千田さんとすぎやまこういちさんはとある場所でゲームについての談話をします。
ゲームには想像力刺激する音楽を作ってもらいたいと思って。
ゲーム音楽を作ってもらおうと交渉しますが、すぎやまさんはあっさり快諾。
そして、すぎやまさんはこう言います、「人間には2タイプいると思います。」
「ひとつは、自分がやりたいことをどうあっても実行するタイプ・子供っぽい人」
「もうひとつは、周りの意見を気にしてやりたいことができないタイプ」
その言葉に千田さんもすぎやまさんも「自分は子供ですね」と、そして、談話は終わり
「では正式に決まりましたら連絡をください」といい、すぎやまさんは帰りました。

昭和60年、堀井さんは、集英社の鳥山明さんと鳥嶋さんを連れてきました。
そして会議室で千田さんが企画で正式にRPGのを作ろうと発表します。
「正直これは冒険でどうなるかわかりません、でも最高のスタッフが集まりました。」
シナリオ・堀井雄二さん、プログラム・中村光一さん、モンスターデザイン・鳥山明さん
そして、音楽も今考えていますとのこと。
千田さんの夢はただひとつ!世界一のゲームソフトを作ること!
子供たちに夢と感動を与えるすばらしいゲームソフトを!!
皆さんと作ってみたいんです
お願いします

ということでRPGの開発は始まり、音楽もすぎやまさんに手紙を出して頼みました。

堀井雄二さんは、どんなRPGにするか悩んでました。
どんな設定にするか、どんな世界観にするか、どんな話にするか、どんな内容にするか、
魔王を倒して姫を助けて物語を終わらせる?しかし、そんな話はよくある話、じゃあどうする?
そして、どこまでわかりやすい話にするか、いろいろ悩んでました。
・・・ある程度シナリオができて、堀井さんはエニックスに電話しました。

エニックスでは堀井さんからの電話で大慌て、なぜなら一週間何の連絡も取れなかったから
行方不明だと思われていました。
堀井さんははがきを出したつもりでしたが、切手を貼ってなかったようで
エニックスに届いていなかったようです。

さて、第一回RPG企画打ち合わせで、世界観、敵キャラクター、戦闘の仕方、を話し合います。
中でも戦闘はアクションはやめてメッセージのみで進めたい、
そして、想像を膨らませて「あっ!」「いたい!」と感じてもらいたいと思ってました。

画面デザイン、移動はウルティマ、戦闘はウィザードリィでいこうと思いましたが、
千田さんはピンとこなかった・・・。というより
ゲームをクリアしてなかったからちょっと恥ずかしかったみたい。

一週間後、製作は進み、移動画面はまんまウルティマに見えました。
その画面に千田さんは「もうちょっとオリジナリティが欲しいな」と一言
千田さん堀井さん中村さんはどうしようか悩みましたが、ちょっとした休憩をとり
堀井さんが部屋に戻ると、中村さんがいいアイデアが浮かんだようです。
それが、マルチウィンドウ、当時はビジネスパソコンに使われていただけでした。
ちなみにマルチウィンドウとは何かわからない人は検索して見てください。
私も説明できません・・・。
絵ではそのウィンドウの中に「はなす」「どうぐ」「じゅもん」「つよさ」などの文字があって
その文字を選ぶとさらにウィンドウが表示されて「つよさ」ならステータスが表示されるように
なっています。
そして、ステータス画面でどういう表示が必要かな?とみんなで相談。
その中で「レベル」は自分がわかるから要らないんじゃない?と思ってましたが、
千田さんがレベル表示が必要だとの意見を言います。
なぜなら、ポートピアであったとき、子供たちがどうしてもわからず
エニックスに答えを求めてたとき、その声がエニックスの部屋に響いていました。
それがどうしました?との疑問に千田さんは
「パソコンは一人でやるかもしれないが、ファミコンはみんなでワイワイやる
コミュニケーションメディアだよ」といいます。

例えば、このRPGをやってるとき友人が集まると、
「みんながワイワイ相談や答えを話しながらやるコミュニケーションメディア」だといい、
その言葉でレベル表示を採用することにしました。

そして、ついにこのRPGの名前を決めるときがきました。
堀井さんはこのゲームのタイトルを決めていました。
タイトルは「ドラゴンクエスト DRAGON QUEST」竜王、ドラゴンを探し求めるゲームと意味を込めて。

タイトルが決まり
次は、音楽、モンスターデザイン、パスワード(ふっかつのじゅもん)など
いろいろとまだまだあります。

一番の問題が容量の問題でした。復活の呪文の長さ、
開発者も長すぎるのは嫌だねともおもっていたようで、持ち物が最大8個アイテムが15種類で
通用するようにそれで復活の呪文の文字はぎりぎりで20文字くらいになったようです。

フィールド、町、城、ダンジョンの画面でもかなりの容量削減をして、

問題は文字制限、ひらがなは全種類使えたようですが、カタカナは容量の都合で
20文字くらいしか使えなかったようです。


その容量の問題のひとつ「敵モンスターの名前」をつける。
敵モンスターの種類は40種類いるようで、どのような名前をつけるか、
どんな名前にするか少ないカタカナの文字で名前をつけることに苦労したようです。

実際、容量の問題でポートピアでは「ゆきこのペンダント」の「ペ」というカタカナが
使えず、代わりにひらがなが全部使えるから「ゆきこのゆびわ」に名前を変更したようです。

その開発中に、堀井さんと中村さんはちょっとしたゲームを買ってみましたが、
そのゲームは取り説が分厚く、内容がめちゃくちゃでげんなりするゲームでした。
そして必死でクリアしても、ただの骨折り損でやらなければよかったと後悔・・・。

後日、二人は取り説は読まなくても、買った人の期待を裏切らない正義のゲームを作ろうと
熱く語りました。

昭和61年ゲーム開発はまだ続いていました。
本当は戦闘にはパーティプレイを入れたかったのですが、
いきなり、初心者には3~4人の行動を入れるのは辛いと思ったので続編にて採用という形で

次に音楽ですが、実は中村さんは密かに作っていたようです。
しかし、千田さんが音楽はすぎやまこういちさんに頼もうとしていましたが、
初耳だった中村さんは猛反対(堀井さんも初耳だった)
大作曲家だからリテイクを出したら怒って作曲をやめるんじゃないかと思ってたようです。
ちょっとした騒動がありましたが、すぎやまさんが「帰ってきたウルトラマン」とかの
曲を作っていたことを知り、千田さんに、すぎやまさんに会って確かめてみたいと中村さんはいい。

後日会うことができました。
そして、すぎやまさんがいろんなゲームに詳しくて実はものすごいゲームマニアだったことで、
心が打ち解け、中村さんはゲーム音楽とはどんな考えですか?との問いに
「ヒット曲は一度聴いただけでインパクトを与えなければいけない」
「しかし、ゲームの音楽は何回きいてもききあきない、ききべりをしない曲を作るのが基本」
その答えに中村さんは「クラシック音楽ですね」と、そして、中村さんと堀井さんは
すぎやまさんの答えに納得して、改めて、すぎやまこういちさんに作曲をお願いしました。

場面は変わって、堀井さんは大量のデータの前でであれこれと作業をしていました。
そのころ、鳥山明さんからモンスターデザインが出来たの電話があり、デザインをチェック。
鳥山さんはイメージ以上のモンスターデザインをしてくれました。
これで敵キャラクターは出来上がり

次は、曲作り、すぎやまこういちさんは次々曲を作り、完成。したのですが
中村さんはフィールドの曲がいまいちな感じを受ける。
だけど、とりあえずこの曲をプログラムして製作を進めると、
鼻歌が、フィールドの曲「広野を行く」でした。
どうやらよかったようです。これで曲は完成しました。

そして、ドラゴンクエストは一通り出来たのでバランスチェックなどの作業になりました。
レベルアップのための経験値、ウィンドウの大きさなど。

そして改めて、RPGを作ること、大ヒットするかみんな不安になっていました。

堀井さんは、公園のベンチで休んでいると、子供たちが砂場で凄いものを作って
堀井さんはこれは何?と子供たちに聞くと「○○だよ」と、子供たちの想像に疲れたようです。

そして、改めて中村さんは子供たちの空想や想像力の凄さを思い知りました。

ゲームが大体できたころ、ちょっとした問題が・・・ゲームの後半が少し単調に感じていたとき、
ゲーム初心者の女性スタッフ(柿原さん)がゲームをしてみたいとプレイ開始

・・・あっさり敵に負けてしまいました。
その様子を見ていた中村さんは「ゲームスタートと後半か・・・」と問題を堀井さんと相談しました。

そしてエニックスでは子供たちにもドラゴンクエストをテストプレイしてもらってましたが
子供たちもすぐにやられてました。

ゲーム最初の主人公の位置はラダトーム城と町の間で、開発していた人は
すぐに町か城に入るかと思っていたようです。
千田さんはこのままでは「不親切なゲーム」だと思われそうだと思って。
どうすればいいかみんな悩んでました。

そのとき、柿原さんがちょっとしたアイデア
「どこにも行かせたくなかったら閉じ込めちゃえ!・・・ダメ?」というセリフに
堀井さんは「それだ!」と採用!
つまり、ゲームスタートして、コマンドの使い方を覚えられるようにしてから
旅に出られるという方法が出来ました。さっそく修正。

これで、ドラゴンクエストは完成だ!

っと・・・思いましたが、中村さんと堀井さんは言いにくいことを千田さんに告げる・・・。

「プログラムをほとんどやり直す!」

その言葉に千田さんは「なんで?」との疑問を。
中村さんと堀井さんは「後半の戦闘が単調でだから、もっとバラエティのある戦闘にしたい」
「本当にいいゲームを作りたい!今のまま発売したらもの凄く後悔します!」
「発売日が遅れるのは申し訳ない、だけどもっと完成度の高いゲームに」と
しかし、千田さんも「いろんな人のスケジュールがある」といいますが、
中村さんが、「売る側の都合で遊んでくれる子供たちの期待を裏切りたくない」と

千田さんも悩みます「発売日の延期はしたくない・・・とは言っても・・・」と苦悩しましたが
電話をかけました「あと一週間、ドラゴンクエストのマスター納入を遅らせてください」
こうして、ドラゴンクエストは七日以内に全プログラムをやり直すことになりました。

そして改めて、全プログラムは完成!その後、デバッグ作業を開始しました。

その中でバグ発見「虹のしずく」を使っても16分の1の確率で橋がでてこないことがでたようです。
バグ修正、そしてまたデバッグ、デバッグ、デバッグ・・・。

ライターの仕事が終わり、堀井さんがエニックスの社内に立ち寄る・・・。中には死屍累々・・・。
千田さんが近寄る「ほりいくーん・・・」「でばっぐー・・・」「もうすぐ完成だからー」

その言葉で堀井さんもデバッグに参加しまして。翌日・・・。

・・・エンディングをチェックして・・・終わりました。

千田さんがすぎやまこういち先生に完成したことを電話で伝えると、
すぎやまさんは、ピアノで広野を行くを弾きました。

こうして、ゲームは完成し、ちょっとしたひと時を過ごしていた中村さん

そのとき千田さんが大慌てで中村さんを探してました。どうやら何かのバグがあったようです・・・。

そのバグがなんなのかはわかりませんが、きちんと修正されたようです。(わかりませんが)

昭和61年5月27日、ドラゴンクエストは発売されました。

それから3年後、平成1年・・・
ドラゴンクエスト4完成打ち上げ会が開かれてました。

ドラゴンクエストの魅力とは何だと思います?
「いつの時代も忘れてはならない、人間愛というメッセージが隠されていると思います。」

「冒険好きな旅人ですね終わりのない・・・」

これでドラゴンクエストへの道は終わりです。

少ない容量で、あんなに苦労してドラクエは完成させたんだなと思いました。
その中で町の外側にぽつんと人がいるのが実は重要なヒントだったり。

カタカナ文字の制限して敵モンスターに名前をつけたり。いろんな工夫が見られます。

一部略してはいるもののかなりの長文ですみません。

ここまで読んでいただいた方ありがとうございます、読んでいてかなりの苦痛を受けた人には
本当にすみません。私が書いている文章が下手くそで、

全くわからなかった人にも謝ります。申し訳ございませんでした。

もっとわかりやすくかきたいです・・・。それでは今回はこれで・・・。





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